体感音響研究所

音楽の機能など

ボディソニック
体感音響装置)とは


ボディソニックの
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ボディソニックの
臨場感再現効果


音楽における
1/f ゆらぎ分析の理解


コンサートホール夜話
A席よりD席の方が良い音?

ボディソニックによる
受容的音楽療法


ボディソニックの技術


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          コンサートホール夜話
                A席よりD席の方が音が良い?
                          日本バイオミュージック学会幹事 小松 明
 
1995年7月 日本バイオミュージック学会会報 22号1) 

 かって 1950年代頃までは、東京のコンサートホールといえば 日比谷公会堂、日本青年館、第一生命ホール、厚生年金会館、サンケイホール などであったが、今は忘れ去られた感じである。当時、東京の演奏会場の中心は何と言っても日比谷公会堂であった。多くの音楽家もここから育っていき、行列を作って入場を待ちながらスコアを見ていた記憶を持つ人も多い。
 だが、日比谷公会堂の音たるや、お世辞にも良いとは言えなかった。特に金管の音は最悪で、破ぶけるような感じの汚い音に響くのである。オーケストラ曲に何故、金管楽器を使用するのだろうと疑問に思う程のシロモノではあった。

上野・東京文化会館が完成
 
 1961年になると上野に待望の東京文化会館が完成した。文化会館建設予定のニュースを聞き、工事が始まって以来、その完成を一日千秋の思いで待ちわびていた待望のオープンだった。大ホールは期待に違わず素晴らしい音がした。金管楽器は輝かしい響きだった。金管が鳴り響く度に、全身にとりはだが立つような感動を覚えた。コントラバスなどの低音も美しく響いた。弦楽器群のハーモニックスは空間に漂うように聴こえた。
 度胆を抜かれたのはロビーの広さだった。客席フロアと同じ位いか、それ以上の広さがあった。完成前からロビーの広さの情報は得ていたが、実際に見るとやはり感激した。日比谷公会堂の申し訳程度に付いていた狭いロビーとは雲泥の差だった。何もかもが素晴らしかった。こうして東京のコンサートホールの中心は徐々に日比谷から上野に移っていった。
 
 東京文化会館ができるのとほぼ時を同じくして、小生は東京文化会館内に事務局を置く都唱(東京都民合唱団)に在籍した。それで毎週2回の練習日には、文化会館地下にあるリハーサル室に通っていた。そこには、Aリハーサル室、Bリハーサル室の2つのリハーサル室(今は3つ)の他、大小取り混ぜて幾つもの演奏者の控室やロビーがある。休み時間にロビーでくつろいでいると、その日の公演をしている演奏団体のメンバーと一緒になることが常だった。
 大ホールのステージは地下1階で、控室と同じ階にある。つまりホールの1階席は、地下1階から地上1階までにわたるスロープになっている。客席から見ると、ステージには反響板がセットされているので分からないが、実はステージフロアは大道具を置くスペースまであり、客席スペース以上に広い。オペラを上演するときなどは、反響板を退けて大道具をセットするので、遠景は本当に遠くにセットする奥行きのある舞台にできる。
 都唱の定期演奏会などは何時も文化会館大ホールを使用していた。この様な経緯もあって、東京文化会館内の様子は割合よく知るようになった。
 こうして文化会館にも慣れてくると、最初の頃の感激もどこへやら、音の響きに不満も覚えるようになってきた(人間は勝手だネ)。その第1は、ホールが大き過ぎると感じることだった。
 
 都唱在籍当時、日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)とは、フォーレのレクィエムやドボルザークのスタバトマーテル、ベートーヴェンの第九などなど随分協演させてもらった。創立当時の日フィルは、常任指揮者が渡邊暁雄先生で、フルートの林リリ子先生、オーボエの鈴木清三先生などなど、当代一流のプレーヤーをきら星のごとく擁していた。(木管以外のパートのことはよく知らないのでごめんなさい)。
 
 そんな縁もあって、小生はずっと日フィルの定期会員として演奏会を聴きに文化会館に数十年来通っている。そして、大概は1階中央部、やや後ろ寄りの席で聴いていた。が、「文化会館は音の良いホールなのだけれども、大き過ぎるのが欠点だ…」 とその響きに些かの不満を感じていた。1階中央部の席と2階正面席がA席で、最も良い席ということになっているのは、御存知の通りである。

 1 シーズンごとに席を替えてみる
 
 日フィルの定期演奏会は1楽期が半年単位になっているが、ある時期から思い立つことがあって、楽期が代わる度に席を替えて貰った。あるシーズンは3階、次は1階最前列のかぶりつき、次のシーズンは4階左袖、次は2階正面…などなど、あらゆる場所の席を、日フィルという同じ演奏団体で、文化会館のそこら中の席を十数年かけて聴き比べたのである。
 その結果、3階正面席はクリアな音だが、2階正面は値段に比例して良い音とは限らないらしいなど、席によって音の響きに微妙な違いがあることが分かったばかりでなく、あまりにも思いがけない発見もした。
 
 だいたい、文化会館の2階以上の左・右袖の席はステージが見にくい。階が上昇するほどそれはひどくなり、最上階、5階の左・右袖の席ではステージが 3分の2か、半分ぐらいしか見えない。全ステージを見ようとしたら身を乗り出して覗き込まなければならない。
 ステージは地下1階なのだから、6階から1階を見ているのと同じ高さである。高所恐怖症の人には、身を乗り出して覗き込むなど出来ない芸当かも知れない。5階席からステージを見るのは、まるで深い谷底を覗き込んでいるような感じがするのだ。
 ところがである。全く意外なことに5階左右の袖の席こそが、文化会館で最も音楽的な素晴らしい響きがするのである! ここの席で聴いている限り 「ホールが大きすぎるのが欠点」 などとは全く感じない。天井の形状、ホールの構造などから、間接音が十分あるためだと思われるのだが…。
 
 これに気を良くして、次のシーズンには5階正面席に移らせてもらった。この席は、普通に座っていてもステージが全部見える。谷底を覗き込む感じは変わらないが、まことに結構。だいたい小生は高い所が好きなのだ。ここまでは狙った通りだった。しかしである。どうも音に癖があって気に入らない。これは当て外れであった。カーブを描く天井と壁とフロアの間にできる空間が、空洞共振器的に作用するのではないかと、素人判断をしたのだが…。
 
 次のシーズンには早々にもとの5階左袖の席に戻らせてもらった。その後、確認のために 1階に下りたり 2階に行ったりもしたが、やはり 5階左袖の席がベストということに変わりはなかった。そんなわけで、以来ずっと今日に至るまで、そこを定席としている。意外なことに、最も安いD席が最も良い音がしたのである (文化会館には他にも意外な良い席があるが、それは秘密にしておく)。

サントリーホールの誕生
 
 サントリーホールができて 1980年代末から90年にかけて、在京のオケは雪崩をうつようにサントリーホールに定期演奏会場を移していった。日フィルもご多分にもれずサントリーホールに移った。小生もそれに合わせて、サントリーホールに通うようになった。床や壁面はむくの木材、オルガンもあるたいへん豪華なまばゆいばかりの素晴らしいホールである。
 しかし、サントリーホールで小生はどうも落ち着かなかった。気兼ねをしながら、よその家に、お客に行っているような感じがしてしまうのだ。周りの人に「すいません」「すいません」と気を遣いながら、遠慮して座らせてもらっている様な感じになってしまうのは、育ちの悪さのなせるわざか。

再び東京文化会館に
 
 マエストロ(日フィル創立指揮者・渡邊暁雄先生)が 1990年に亡くなられた。長年にわたってその演奏に接し、また棒を振っていただいたこともあるマエストロが亡くなられたことは、小生にとっても大きな区切りであり転機であった。数十年に及ぶ日フィルとの付き合いに終止符を打たせてもらった。そして上野の文化会館でも定期演奏会をしている都響(東京都交響楽団)に鞍替えして、再び東京文化会館に戻らせてもらった。かくして今も文化会館の5階左袖の席が小生の定席で、毎月そこに通って定期演奏会を聴いている。
 上野の文化会館は、小生にとっては長年住み慣れた、自分の家のような安心感がある。青春時代以来の、あまりにも多くの思い出が染み込んでいる。その文化会館5階左袖の席で、まるで自分の部屋でくつろいでいるかのように音楽を楽しんでいる。そこに居るだけで深い安らぎを覚えてしまうのだ。


参考文献
 
1)小松 明:A席よりD席の方がよい音がする? 日本バイオミュージック学会 会報22号 P10 1995.7.17


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